たぶんあの時僕らは歩き出したんだ。

彼が煙草を吸いにベランダへ出たから、私はいつも通りLINEを開いて、慣れた手つきでニュースのタブを押しました。

想像の欠片にもなかった、信じられない文字列が目に映って、すぐさまテレビのチャンネルを変え、Twitterを開き、呆然とその映像をみつめていました。部屋に戻ってきた彼に「あれチャンネル変わってる」「だって嵐が活動休止するってみたから」なんて何事でもないような会話もした。

 

朝起きて、あぁ悪い夢だったんだと、どうしようもなくリアルで、嫌な夢だったと、無意識に願ってしまった。

 

 

嵐が"嵐"を宝箱にしまう日が来る。

 

 

嵐は、私にとって初めての輝きでした。嵐に夢中になるまでの幼かった私は、どうやって日々を楽しんでいたのか、もう思い出すことはできず、そして、嵐を好きにならなかった世界の私は、今、どうやって日々を楽しんでいるのか。思い当たることがない。嵐に出逢って、知らない世界に飛び込んで、いろんな地に降り立って、大袈裟ではなく、生きることの楽しさを知った。

それと同時に、私は嵐になりたかった。羨ましかった。家族でも友達でもない、でも絶対的に信頼できる人がいる、"嵐"という絆で繋がっている5人がどうしようもなく羨ましかった。この地球上で、もう、誰一人として"嵐"になることはできず、"嵐"という関係性を作ることもできない。嵐は5人の専売特許。ただ仲が良いだけじゃない、ただわちゃわちゃしてるだけじゃない。他のグループが、他の誰かが、嵐を真似て仲の良さを売りにしても、嵐のように上り詰めることはできない。そう思っていたから、そして、ここ数年の間に起こったあれこれに"関係ない"と何処かで思ってしまっていたから、私は今でもそれが夢であってほしいと願ってしまう。

 

あと2年。嵐が嵐でいる姿を出来る限りみていよう。2020年12月31日まで、やだやだって駄々をこねながら。私なりに。