ふまけんという生き物とは。

ざわざわしていたぽぽろんが10月23日に発売されました。水面上をすくった程度にわかっていたことを他人が書いた文章できちんと読んだ。そう、これはふたりの会話を第三者が文字にしてくれたものである。




「ふまけん」なんて括りを知らなかったのに、あのフォーラムは「ふまけん」の形だと決めつけ、ふまけんのための曲だと決めつけた。ひらひら〜情熱〜欲望のレイン〜アンダルシア。そしてGAME。わたしはこの「ふまけん」にみとれて惚れた。風磨くんの隣にいるけんとくんは、けんとくんへの好きを積み上げるひとつになった。けれどいつのまにか、わたしはふまけんに騒ぎすぎることがなくなった。それはふたりにソロ曲が与えられたSUMMARYを終えてから。同時にセクサマリリースラッシュを終えたぐらい、そう1年前の今、ふまくんのステージに立つ姿が嫌いになった。怖いもの知らずでいうと気分が悪かった。たのしみにしてる少クラがふまくんのせいで楽しくない。4人もじゃんぷさんもえびさんもJr.もステージを作ってくれているのにふまくんたったひとりのせいで。それでも、“けんとくんがいるから大丈夫”ってずっと。ずっとそういっていたのに、ふまくんは変わらなくて、なんでけんとくんはなんにも伝えないんだろうなんて思ってた。ひとつのお仕事を倍返ししてくれるけんとくんが、これを披露するなんてことになったら怒ってくれるっておもってた。けんとくんはなんにも話してないのかな?そして今日もやっぱり気分が悪くなるパフォーマンスだ。でもけんとくんがいるから大丈夫……が堂々巡り。初めての全国ツアーが幕を開けて、大人の決めたやり方がみていられないほど残酷になった春、けんとくんとふまくんの氷っていたなにかも溶け始めた気がする*1


結局ふたりはちゃんと“喧嘩”をしたわけではなかった。どこかのタイミングでふまくんがぶつかりにいって、でもけんとくんがそれに答えなかった。そして「もういいや」と思ってしまったふまくん。もういいや、かぁ…。人は嫌いになるよりも無関心になってしまったときが怖い。その人のなかに私は存在しなくなってしまうから。ふまくんのなかにけんとくんがいなくなった時間があった。うん、でもたぶんそんな感じだった。お互いに自分のことしか考えてないような。新春では(わたしのレポの限り)ふまけんの記録がないし、名前のない想いはひとりずつ歌ってるし*2。常に隣にいるやつを意識してやってきたであろう*3ふたり。そのまま壊れないでよかった…今振り絞って出てくる言葉。


公の場で心を晒す(というほどでもないが)ふまけんはなんともふたりらしい。けんとくんは純粋で単純そうにみえてなかなか“本心”をみせない人なんだ、なんてそういえばと気づいた。…というか、彼はそれを本音にみせることが巧くて、そしてこちら側にハッピーを与えるからそんなことを考えさせてくれないんだよね。だから、ふまくんしか踏み込めない領域がある。御来光登山のお風呂やハワイのお風呂でふたりがどんなことをどこまで話したのか、なんて空っぽの空想にしかすぎないけど、「ふまけん」の形が変わりながらも「ふまけん」でいてほしいし、まだまだ「ふまけん」にシンメの夢をばらまいてほしい。ダイヤモンドを磨くにはダイヤモンドしかない。ぶつかって喧嘩してぶつけ合って、湯をともにしよう(笑)Duバィではなにかお話ししたのかな〜〜〜〜春ツアー(仮)でふまけんコーナー復活しないかな〜〜〜〜

*1:明確な時期は言及していないからただの憶測にすぎないけど。

*2:1周年HEY×3では名前のない想いがすっげーいい曲だから!とかふたりして言ってたのに。

*3:昔のことは知らないから安易に言及できない